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sans voix

 声が出なくなってしまった。


 起きてすぐには気づかず、昼前にラジオから流れる曲を口ずさもうとしたら口から空気だけが抜けるような、強く出そうとすればするほど息が詰まって咳き込んでしまう。これはたいへんだ、と一瞬は思うものの、今週前半は大事な打ち合わせもないし、電話で話すこともないだろうし、2、3日すればよくなるはずなのだからと自分に言いきかせる。


 夕方、ふらと本屋に出かけて、吸いよせられるようにひとつの本を手に取り、家まで待ちきれず近くのハンバーガー屋さんに寄って、熱々ポテトをはふはふかじりながら読みはじめる。驚いたのは、主人公の女性もある突然のショックな出来事から声が出なくなってしまったこと(わたしは違うけど)。彼女はとりあえずと購入した単語帳に必要最低限の言葉を書き、出合う人々に見せながら会話を繋いでいきます。十年振りに実家に戻った彼女は母親と筆談で会話を続け、話せるはずの母親もなぜか紙に書く。本屋まで歩く道すがら、もし誰か知り合いに会ってしまったら紙に書いて説明しなくちゃなんて考えてたばかりだったから、物語なのか現実なのか、でもどんどん引き込まれています。





 
maite


スイスで最後の授業でのクラスメートと。
彼女とはお互い通じる言葉がなかったけれど、
作品を見せ合ったり、道具を貸してもらったり、
とてもよい時間を過ごした。


 話すことでわかり合えることももちろんあるけれど、言葉などなくても大丈夫だってこと、スイスの学校で教えてもらった。みんな同じ製本家、よい本をつくるひととは言葉を交わさなくっても手を動かせばわかる。料理もおなじと思う。早く続きが読みたい。


きょうの一冊 : 小川 糸 「食堂かたつむり」



七月一日 火曜日(もう、7月!)
 
| books | - | 00:52 |
花布

 授業を始めてからこれまであたりまえのように思っていた本についての知識を改めて考えることが多くなりました。技術的なこともだけれど、名前の由来であったり、道具のことであったり。ときには思わぬ質問もあったりして、毎回授業の後は調べることがたくさん。毎日が勉強の日々です。


headband


 本の背の上下両端にちらりと見える布があります。これは「花布」や 「headband」と呼ばれ、本を綴じた部分の補強と装飾のために付けられたもの。フランスでルリユールを学んでいたときは昔の方法で2つの細い紙の芯に2色の糸を交互に巻きつけ、途中で折丁に縫い込む方法を習いました。12世紀、13世紀頃の本では芯に革が用いられ、それを直接表紙に通して表紙と中身をつなぐ役割も果たしていました。

 いまでは布や革を折りたたみ、間に芯をいれたものを背に貼りつけ、背の幅に合わせた大きさのものが使われ背に直接貼るようになりました。背は寒冷紗で糊付されしっかりしているので装飾的な役割が大きいのかなと思っていたけれど、調べてみたら本を本棚から出すときに背の上部を指で引っ掛けて取り出すときにこの花布が背が壊れないように守る役割も果たしているとのことです。
( ’ A Dictionary of Descriptive Terminology ’ より )

 
 クラスでは思わぬところから話が脱線してしまうこともしばしばです。生徒さんとの話に花が咲いてしまい帰ってひとり反省しました。手もしっかり動かさなくてはです。



present


はじめての生徒たちからの思わぬプレゼント。
教えたことをちゃんと自分のものにしていて、
添えられたメッセージにも涙。merci beaucoup!



四月十六日 水曜日(急だけどうれしいオーダー、日曜までに仕上げなくちゃ) 
| books | - | 00:47 |
attendre

 約60もの工程を重ねてできるルリユールの製本はそのほとんどを待ち時間に費やします。プレスをして一週間、背に糊をして一晩、表紙を貼って一週間、中表紙を貼って一週間、この待つ時間も重要な工程のひとつ。最初はひとつの本をつくるのに数ヶ月もかかると聞いて驚いたけれど、この時間の大切さは何十冊かつくるうちにだんだんとわかってきた気がします。


nice


 コートダジュールの青い海を見にニースに行ってきました。パリに住んでいた頃も何度か訪れた街、けれど暖かい時期に来たのは初めてのことでした。空も海もどこまでも青く、海岸のあちこちに立つパラソルの白が眩しすぎるくらい。
 
 待つことは嫌いじゃない。小学生の頃、近所のお友達と一緒に遊ぼうと公園で待ち合わせたけれど何時間経っても現れなかったことがありました。バスを待つのも、電車を待つのも、レジを待つのも、洗濯が終わるのを待つのも、来ない手紙を待つのも、その間にいろんなことを考えられる。その時間さえ大切に思えてくるから不思議。そりゃあ、急がなくちゃいけない時だってあるけれど、ときには待たせてしまうこともあるけれど、でもなんとなくこころに余裕を持って次のことができるような気がします。待つことは信じること。相手を信じていなければ待ってなんていられない。
 
 いま、帰国を前にして考えなくてはいけないことが頭のなかでぐるぐる出口の見えないトンネルの中を彷徨っているかのよう。心配されるのも無理はありません。はっきりとした答えが出ないまま、大きな空と海、おいしい料理が唯一の救いだった気がします。

 またいつかこの海岸を訪れることができたなら、砂浜に降りて海岸を歩きたいな。


sewingmachine

製本をする機械、これなら短時間でたくさん製本できる。
機械だけれど見た目も動きもアナログなところが好き。


九月九日 日曜日(風邪を引いてしまった)
| books | - | 20:36 |
料理と本づくり

 学生の頃、年齢も近く姉のように慕っている叔母と夏休みを利用していろんな街を旅した思い出があります。アメリカに住んでいる彼女は料理は食べることもつくることも好きで、遠くまでおいしいものを求めて出かけることもよくありました。
 
 CIA(The Culinary Institute of America)という料理学校がニューヨーク州のHydeparkという街にあり、料理を学ぶことはもちろん、卒業試験で生徒たちのつくる料理をレストランで食べることもできます。料理をつくるひとはガラス張りのキッチンを、給仕するひとたちはその動作の一部始終を採点表を手にした鋭い目つきの先生たちに見られながら最終試験に臨みます。わたしたちのテーブルを担当した男の子(たぶんまだ10代)はメニューの説明をする声が裏返り、水を注ぐときは手が震えてテーブルにこぼす始末。けれどその緊張する顔がとても一生懸命でけなげで、料理のおいしさはもちろん、彼のおかげでとてもたのしいランチになりました。デザートを出す頃には緊張もほぐれたのか笑顔も戻り、サービスも滞りなく気持ちのよい時間を過ごすことができました。
 
 本をつくる工程は料理に似ていると勝手に思っています。きちんと下ごしらえをし、順番通りに工程を踏まないとおいしく仕上がらない。その日の素材で焼き加減や塩加減が異なるように、本づくりも紙の質、本の厚みや大きさで縫い糸の太さを変えたり、気温や湿度によって糊に加える水の量を変えることもあります。
 
 プロの製本家になるための試験などはありません。何年か、製本所やプロの製本家の元での修行を経て独立するひとが多いようです。誰に審査されるわけでもありませんが、どんな仕事であっても丁寧におなじ気持ちでつくることはもちろん、ひとの手に渡るまでの時間も大切にできればと考えます。

 前回つくった本、とても小さくて薄い本だからとわたしは40号の糸を選びました。けれど先生のエドウィンは16号の一番太い糸を使いなさいと言います。
「角背の製本やソフトカバーの本なら40号でよいです。けれどこれは丸背の製本、背の丸み出しをするには厚みが必要になるのです」
 
 まだまだ修行が足らないみたいです。


menu

6月のメニューづくりのクラスでつくったもの。
一枚の紙の上部を斜めにカットして蛇腹折りし間に紙を挟むために
プラスチックのシートを帯状にして左端に取り付けています。
メニューは何度も変わるもの、中身を変えられる製本が課題でした。


八月十六日 木曜日(もう電話はやめようかな)


| books | comments(0) | 23:24 |

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