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北欧製本家事情

 クララは5月に学校で知り合ったひとつ年下のスウェーデン人の女の子。アスコナで滞在するためのアパートが見つからず困ってたところ歳も近いのだし一緒に住んではどうかとの先生の提案に、ルームシェアなんてもちろん初めてのことだったのに、知らない誰かと住むなんて考えられないなんて話してたばかりだったのになにも考えずにオーケーしてしまいました。

 コペンハーゲンに自分のアトリエを開き、制作を始めたばかりでうまくいかないことも多く、もっと幅広いオーダーに対応できるようにあたらしい製本を学びたいとこの学校にやってきたクララ。デンマークには彼女を含め若い製本家はふたりだけ、より仕事の多い修復を学ぶひとは多いけれど製本家を目指すひとはヨーロッパの他の国でも年々減っているのが現状です。さらに北欧の国々では昨年で学校で製本を教えることをやめてしまいました。これでは若い製本家が育つはずはありません。
 
 そんな状況のなかでも彼女はクラッシックな製本だけにこだわらずに様々な切り口で製本家としてできる技術を生かした仕事を模索中です。まだ始めたばかりでクライアントとのやりとりがうまくいかないことも、制作の途中でオーダーを断られてしまったこともあるけれど決して弱音を吐いたりしない。彼女の前向きな姿勢にはいつも励まされます。
 
 「本を縫うのは遅いけど料理の支度はすごく早いのよ」と作業の遅いわたしを待つみんなに話して場を和ませてくれたこともありました。(ほめられてたんだかわかりませんが)焦らずに作業を進めることができたのも彼女のおかげ、しっかり者のクララにはいつも助けられてた気がします。同じ部屋でスカイプしたり、ショッピングモールで買い物したり、テラスでランチしたり、たくさん笑って、たくさん話したあっと言う間の6週間でした。
 
 今週日曜日、クララが再びアスコナにやってきます。最初の1週間はまたうちでふたり暮らし、日曜日の夜はクララの好きな献立を準備して待っていようと思います。


キッチン


クララがいると食料品もついたくさん買い込んでしまいます。
夕食はわたしの担当、早起きのクララは朝食担当。
日本食もかなりのお気に入り。


八月三十日 木曜日(今週きょうで8冊目、腰が痛い)

 
| cbl | comments(0) | 22:48 |
アンジェリカ

bookstore


 アンジェリカと出会ったのは、彼女が店を閉める数ヶ月ほど前のまだ吐く息も白い二月の終わりのことでした。薄紫色のシフォンの丈の長いワンピース、質の良いアンティークのアクセサリーを幾重にも身に着けた彼女を初めて見たとき、中世の西洋の魔女はこんなだったんだろうなと想像させるような容姿をしていました。何度か店に足を運ぶうちに話をするようになり、アスコナに来る人々はお金を持っていても本の良さがわからないひとが多い、なぜ彼らは宝石や車ばかりにお金をかけるのかと、本が売れなくなり店を閉めざるを得なくなったことを嘆きながらも、わたしが手に取る本の思い出をひとつひとつ丁寧に教えてくれるその目はときにあどけない少女のようでした。 
 
 彼女はドイツのとてもよい家柄に生まれ、頭もよく、音楽の才能を生かして歌手として活躍していたそうです。けれどある時旦那さんの裏切りにあい、失意の中であたらしい人生をとこの街で古本屋を始めました。店にはオルガンが置かれ、愛おしそうに鍵盤を触る彼女を一度だけ見たことがありました。

 店を閉めると聞いてからは毎週末彼女のところへ行き、彼女の本に囲まれて何時間も過ごしました。1940−60年代のスイスのデザイン雑誌「GRAPHIS」、1900年代のオーストリアのグラフィックデザインの本「Aufbruch und Erfullung」、Linotype社Ottmar Mergenthalerの本、ドイツのイラストレーターの本などたくさんの美しい本に出合うことができました。ドイツ語で書かれた本は読むことはできませんでしたが、デザイン本や画集、写真集などからも彼女のセンスがみられ、すこし暗めの色合いの画家や版画家の本が多かったように感じました。アルコールを飲まずには生活することができず、ときに感傷的になって話す彼女との会話に疲れてしまうこともありその後は足が遠のいてしまいましたが、結局は六月の終わり頃まで店を開けていたようです。

 彼女が亡くなったと聞いたのは三日ほど前のこと。自分でもわかっていたのでしょうか、店を閉め、身の回りをきちんと整理して彼女は旅立ちました。「死してなお、魂は成長する」とはドイツ語で死を意味する単語に含まれた言葉です。
 
 アスコナは少しずつ秋の気配を感じてきています。


lakeview

二月の終わり、店の前から見た湖の景色。
おなじ景色を彼女も見ていたのかな。


八月二十六日 日曜日(布団が恋しい)

| Ascona | comments(0) | 19:45 |
villa le lac

 ヨーロッパはユーロが導入されてからいろいろなことが便利になったけれど、それぞれの国の通貨がなくなってしまったのは残念なこと。入国スタンプも押してもらえないし、隣国への行き来が自由になったことでその国らしさがちょっとずつ失われてしまわないかと心配になります。
 
 スイスは永世中立国でありさまざまな国際機関の本部がありますが、EU に加盟していないので自国の通貨であるスイスフランを使っています。このお札の色使いがとてもきれいでここにもスイスデザインの美しさをみることができます。10フラン札にはスイス生まれの建築家、Le Corbusier がおなじみの丸眼鏡を持ち上げるしぐさの写真で載っています。他にも彫刻家の Giacometti、同じく女性彫刻家のSophie Taeuber-Arpなどの芸術家や作曲家の Arthur Honegger は20フラン札に、いちばん大きい(たぶん)額の200フラン札はあまり見かけないので誰かわかりません。(たしか男のひと)
 
 六月のはじめ、東京から友人がはるばるアスコナを訪ねてくれました。ミラノを経由してスイス入り、アスコナには三日ほど滞在し、ちょうどわたしも数日間のお休みがあったので一緒にフランス語圏の街ジュネーブまで足をのばしました。


レマン湖 

モントルーで途中下車、右の方の対岸はおフランス。

 その途中、レマン湖の畔の小さな街、Vevey にある「小さな家」を訪れました。Le Corbusier が両親のために建てたこの家は「小さな家」の愛称でよく知られていますが、こちらでは 'villa le lac' と呼ばれています。ほんとうにこじんまりとした小さな家で、機能的な設計の収納が奥にあり、障子のような引き戸で部屋を仕切ることができてちょっと日本の茶の間のようであったり。リビングはゆったりとした設計がされていて狭さを感じさせません。そしてどの部屋の窓からもレマン湖の美しい景色を眺めることができます。両親への愛情を、訪問者のわたしたちでさえ感じることができ、心地よい時間を過ごすことができました。

 スイスに来て間もない頃、人々が電話や窓口での会話で「何語がよいですか?」と話すのを聞いて驚きました。人口の20%を外国人が占め、誰もが最低でも2カ国語を話し、四方をドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの国々に囲まれ 4 つの公用語を持つスイス。言語圏ごとに異なる特色はあるけれど、スイスらしさはいつまでも失わないでいてほしいと願います。


石と足

右はマッジョーレ湖の石、左はレマン湖の石。
下はわたしの足でもひとつはアヒルさんの足。


八月十九日 日曜日(曇りときどき嵐、のち晴れ)
 
 
| Switzerland | comments(0) | 18:59 |
製本家もいろいろ

 大学を出てすぐ、東京で活動するドイツ人製本家の元で制作の手伝いをしていたことがあります。彼女は日本の和紙に魅せられ来日し、いまでも和紙を用いた作品づくりで主にヨーロッパを中心に作品の発表をしています。元々はドイツで製本を学び、ここアスコナでも学んでいました。
 製本家と書きましたが、彼女は依頼を受けて制作することはほとんどありません。好きな詩人や作家の文章からイメージする素材を選び、デザイン、印刷、製本のすべてを手がけるブックアーティストで、すばらしい作品をつくっています。この学校を選んだのも彼女の勧めであり、手伝いをしながら製本の技術だけでなく紙の扱い方、工程、作業の進め方など多くのことを学びました。

 製本家は、限定本の制作、個人の大切な一冊のための製本、装丁、記念のアルバム制作、箱づくりなど、どれも時間と費用をかけてもよいものをつくってほしいとの依頼で受けるのがほとんどですが、彼女のようなブックアーティストと呼ばれるひとも稀にいるのです。
 欧米では絵画と同じように本のコレクターがいて、ビブリオフィルと呼ばれる愛書家の他にもアーティストブックを収集するひと、そうした本だけを扱うギャラリーや本屋もいくつかあります。図書館や大学、美術館も彼女のクライアントとして作品を持っていて、ドイツの Offenbach にある Klingspor Museum は国内外のブックアーティストの作品や印刷の貴重なコレクションをしていることでよく知られています。

 彼女の元で働き始めて間もない頃に教わった製本方法があります。釣り糸を縫い糸として用い、糊を使わないモダンな製本は見た目にも美しくとてもフラットにページを開くことができます。この製本を習ってはじめてつくったのが自分の手帳です。既成の手帳をいつもうまく使いこなすことができずにいたので、紙選びからすべて自分の好きなようにできたことがとてもうれしかったのを覚えています。今年でもう五冊目、今年のは袋に合わせたサイズでつくりました。


手帳1 手帳の袋
 
 
 最初は友人や周りのひとだけでしたが、昨年初めての個展をしてからは様々な方からの依頼も受けるようになりました。今朝、今年の手帳をつくらせていただいた方から「出かけるときはいつも持ち歩いています」とのうれしいメールをいただきました。手帳の注文には好みの色やサイズ、紙質などを伺い、会って、話しをしてわたしなりにイメージを膨らませながら制作をするので思い入れが強いのです。
 
 絵画のように鑑賞する本、本棚で背中を眺める本、手では直接触ることのできない貴重な本、いろいろな本があるように、いろんな製本家がいます。まいにち持ち歩いてもらえるような本を、依頼主の方と一緒に完成させられる本をつくれたらなと思うのです。


八月十八日 土曜日(おなじひとと三度もすれ違う)

| works | comments(0) | 19:35 |
料理と本づくり

 学生の頃、年齢も近く姉のように慕っている叔母と夏休みを利用していろんな街を旅した思い出があります。アメリカに住んでいる彼女は料理は食べることもつくることも好きで、遠くまでおいしいものを求めて出かけることもよくありました。
 
 CIA(The Culinary Institute of America)という料理学校がニューヨーク州のHydeparkという街にあり、料理を学ぶことはもちろん、卒業試験で生徒たちのつくる料理をレストランで食べることもできます。料理をつくるひとはガラス張りのキッチンを、給仕するひとたちはその動作の一部始終を採点表を手にした鋭い目つきの先生たちに見られながら最終試験に臨みます。わたしたちのテーブルを担当した男の子(たぶんまだ10代)はメニューの説明をする声が裏返り、水を注ぐときは手が震えてテーブルにこぼす始末。けれどその緊張する顔がとても一生懸命でけなげで、料理のおいしさはもちろん、彼のおかげでとてもたのしいランチになりました。デザートを出す頃には緊張もほぐれたのか笑顔も戻り、サービスも滞りなく気持ちのよい時間を過ごすことができました。
 
 本をつくる工程は料理に似ていると勝手に思っています。きちんと下ごしらえをし、順番通りに工程を踏まないとおいしく仕上がらない。その日の素材で焼き加減や塩加減が異なるように、本づくりも紙の質、本の厚みや大きさで縫い糸の太さを変えたり、気温や湿度によって糊に加える水の量を変えることもあります。
 
 プロの製本家になるための試験などはありません。何年か、製本所やプロの製本家の元での修行を経て独立するひとが多いようです。誰に審査されるわけでもありませんが、どんな仕事であっても丁寧におなじ気持ちでつくることはもちろん、ひとの手に渡るまでの時間も大切にできればと考えます。

 前回つくった本、とても小さくて薄い本だからとわたしは40号の糸を選びました。けれど先生のエドウィンは16号の一番太い糸を使いなさいと言います。
「角背の製本やソフトカバーの本なら40号でよいです。けれどこれは丸背の製本、背の丸み出しをするには厚みが必要になるのです」
 
 まだまだ修行が足らないみたいです。


menu

6月のメニューづくりのクラスでつくったもの。
一枚の紙の上部を斜めにカットして蛇腹折りし間に紙を挟むために
プラスチックのシートを帯状にして左端に取り付けています。
メニューは何度も変わるもの、中身を変えられる製本が課題でした。


八月十六日 木曜日(もう電話はやめようかな)


| books | comments(0) | 23:24 |
修復家の仕事

 ローザンヌに住むスイス人の友人シャンタルからCDが送られてきました。先月、訪ねたときに一緒に聴いた曲をわざわざ録音してくれたのです。添えられた手紙には「来週、夏の音楽祭にビョークが来るので聴きに行ってきます」とのこと。野外で聴く彼女の歌はどんなだろうかと想像してしまう。

 彼女は本の修復家として自分のアトリエを持ち、個人的なものや赤十字などからの依頼にも応えています。仕事場を少し見せてもらっただけで彼女がとてもよい仕事をしているのだと感じました。
 製本家は古い本を製本することもありますが、たいていはあたらしくきれいな本を製本、装飾を施すのが仕事です。傷みのひどい本を直す(治す)、傷を治療するお医者さんのような存在である修復家の仕事は同じ本を扱う仕事でも大きく異なり、彼女たちから学ぶことはとても多くあります。

 いまでも現存する16世紀頃の本は、機械での大量生産が始まる17世紀以降のものよりも状態がよく美しい本が多くあると言われています。ビブリオフィルと呼ばれる愛書家は古い時代の美しい本を美術品と同じようにコレクションしています。
 修復家の仕事は本の傷を治し、現状を安定させるために保護すること。古い時代の本を元の状態に戻すのは不可能です。その本が生まれた時代からこれまでの時間の経過を本の状態が物語ってくれている。だからこそ古い本のよさ、価値があるのです。けれども多くの愛書家は本をきれいにしてほしい、表紙が壊れてしまっているものにはより良い革を使ってきれいな装飾をと頼むと言います。傷のあった箇所をきれいにしてしまうのではなく傷があったのだということを隠さずに残すのがよい仕事であると考えられていますが、依頼があれば染み抜きのために漂白することもあり、本の中身は古くても外側はピカピカ、なんてことも少なくないそうです。

 修復家は、毎回異なる本の劣化の状態を知りそれぞれに合った修復をすることはもちろん、製本の技術も要します。とても繊細な仕事なので気難しいひとが多いのかなと思っていましたが、シャンタルのように陽気でおおらかなひとが多いのは意外でした。          
 フランス語で歌うはchanter(シャントゥール)、ケラケラとよく笑う彼女はフランス語、英語、ドイツ語を自在に操り、彼女がいたときのクラスはとてもよい雰囲気でした。先生はもちろん、毎週のように生徒の顔ぶれの変わるこの学校での授業は生徒のキャラクターで授業の雰囲気もがらりと変わったりするのです。

 来週はまたどんなクラスメートがやってくるのかといまからたのしみにしています。
 

紙

紙の下から光をあてて、紙を漉いたときの枠の線の間隔、ウォーターマークなど
からその時代を読み取ります。これは19世紀初めの手漉きの紙。


八月十四日 火曜日(焼きそばにイカをいれたらトレビアン)
| cbl | comments(0) | 22:02 |
てがみ

 「とろけたチョコレートが届きました」
 先日、小包を送った友人からこんな返事をもらいました。東京で忙しく働く彼に、ロンドンのおみやげとスイスのチョコレートを送ったのですがまさか溶ろけてしまうとは。日本の暑さを忘れていました。きょうのアスコナはちょっと寒いくらいです。

 先月訪れたロンドンで、パリに住んでいた頃に出会った方と6年ぶりに会いました。彼女とはわたしが日本に帰国する直前、売りに出したオーブンを買ってくれたことで知り合いました。チキンの丸焼きにピザにグラタンにと大活躍のオーブンだったので、やはり料理が好きな人に買ってもらいたいとの願いを込めた張り紙にすぐに返事をくださったのが彼女でした。
 帰国後、説明書を渡し忘れたことから手紙の交換が始まり、一年に何度か彼女はそのオーブンでつくった料理やそのレシピ、そして彼女がパリを離れ次のひとに渡ってもその後のことまで手紙で知らせてくれました。日本からも仕事のこと、料理のこと、東京から旅先から手紙を書きました。そして今回、6年ぶりに会うことになったのです。

 彼女の住まいはロンドンから少し離れた閑静な住宅街。テムズ川もロンドンの中心よりずいぶんと川幅も狭くなりボートに乗って遊ぶ子供たちの姿も見かけました。川沿いを彼女とふたりで歩き、この6年の間にあったこと、これまでのこと、たくさんたくさん話しました。少しして、お茶でも飲みましょうかと彼女が自宅へ招いてくださいました。その道の途中でふっと彼女が、秋に結婚するのだということをとても自然に、すこしはにかみながら話してくれました。相手の方は手紙の中にもたびたび出てきた方だと想像できました。
  
 手紙は受け取るのももちろんですが、書くことも好きです。受け取る相手のうれしそうなときには驚く顔を想像しながら、たとえそれが一方通行だとしても「ありがとう」と言ってくれる、それだけでうれしいのです。
 
 いつかまた彼女と再会できる日を想いながら、彼女の幸せを願いながらきょうも手紙を書きました。まだ出してません。出さないかもしれません。そんな手紙もけっこう多かったりするのです。


小包

アスコナに来て最初に届いた小包。
中にはおせんべやらうどんやら乾物やらがたくさんでした。
すぐになくなりましたよ。


八月十一日 土曜日(チャットモンチーする)
| Paris | comments(0) | 23:17 |
アスコナと太陽

 きょうは山の方へ友人を訪ねる予定でしたが朝から体調が優れず断念。彼女の住んでいるところはかなりの山奥なので「天気がよい日に来てね」とのアドバイスを受け、先週からずっとお日様待ちをしていてようやく今日! と思ったのにこれでは山登りもできません。でも彼女は10月までそこに滞在しているというのでまた次の機会にということになりました。
 というわけで、きょうは快晴のアスコナですが一日うちでじっとしていることに。3日続けてのカレー(作りすぎた)はさすがにと思い、お昼におかゆを食べたら体調は少しずつですがよくなってきました。
 
 アスコナの街には太陽が似合います。友人がはるばる日本から訪ねてくれる度に願うのは天気。ここはほんとうにちいさな街なので特にこれといってすることはありません。友人のベンジャミンもすることと言えば「bookbinding or swimming?」と言うくらい。ということは湖で泳ぐことのできない冬は、、、そう、ほんとうに何をしていたのかいまでも思い出せないくらいです。覚えているのは、テレビも電話もインターネットもなかった頃まいにち誰かしらに手紙を書いていたことです。おかげで郵便局のお姉さんとは顔見知りになれましたが。

 けれども住めば都、すてきなところはたくさんあるのです。

 街の中心にある湖、マッジョーレ湖は4分の3はイタリア領なので写真に見える向こう岸はもうイタリアです。水がとても澄んでいてきれい。泳ぐのもよいけれど、浜辺で石を積み上げたり、ぼーっと景色を眺めたりしています。いちばん近いイタリアはCanobbioという街。おいしいエスプレッソを飲みに行きます。

湖

 
 それからちいさな美術館もあります。Museo comunale d'arte moderna Asconaという市立の美術館。好きな作家Niele Toroniのドットが壁一面にあったり、ロシア人の画家Marianne Werefkinの絵もたくさんあります。彼女の作品はここで初めて知りましたが、道を歩く女のひとの絵が多く少しさみしげですが好きな絵が多かったです。

Niele Toroni

 
 アパートから歩いて数分のところにはやぎと羊とにわとりのいる小さな牧場があります。春には子やぎがたくさん生まれてすごくかわいかったです。パンが余るとあげに行ったりします。目がコワかわいいのです。

やぎ

 
 まだまだ外は明るいアスコナですがもう夜の8時を過ぎました。カレーは当分作らないことに決めました。


八月十日 金曜日(たくさん寝た)

| Ascona | comments(0) | 20:19 |
紙つながり

 東京からまたまた小包が届きました。彼女とはスイスに来てからなんとなく手紙やメールでやり取りを交わし、好きなものが似ているということもあって勝手に親近感を覚えていました。お互いの誕生日がちかいこともわかり、こちらからも先週彼女宛にプレゼントを送っていたところでした。
 彼女のはじめたお店や作品、展示のことはウェブ上でしか知りませんでしたが、こうやって実物が手元に届くとそのよさを実感できます。
 
 きっかけは彼女からの「バーゼルにあるペーパーミュージアムをご存知ですか?」というメールから始まりました。ええ、もちろん知ってますとも! 3月に友人と訪れはしゃいでしまいましたよ。


紙美術館のおじさん 

 
 西洋での紙作りは、中国からアジア、アフリカを渡り中東からアラブ文化と共にスペインに伝わったのがヨーロッパでの始まりです。スペインからだんだんと北上し各地に広まったと言われていますが、各国の多様な風土によってそれぞれの地で発展をします。紙作りに欠かせないのが水、原料となるコットンの繊維を叩くのにも水の流れ、勢いが必要になるので、山があり土地の起伏の激しい場所に工場が建てられました。しかし、17世紀頃から機械での大量生産が始まり昔ながらの製法での工場は次々と姿を消します。バーゼルのペーパミュージアムも元々は工場があったところをいまでは美術館として昔ながらの手漉き紙作りを紹介し、オリジナルの紙もここでつくっています。
 紙の専門家に言わせればここはただのエンターテイメントとしての紙作りでしかないらしいですが、子供たちや紙に少しでも感心のあるひとに昔ながらの方法を紹介してくれる場所があるというだけでもとてもよいことだと思います。博物館では実際に紙漉きの体験もできますし、活版印刷体験、製本家の仕事を見ることもできます。
 
 彼女とは10月のフランクフルトでのブックメッセで再会できるとのこと。これがスイスでの滞在を締めくくる最後の旅にもなります。それまでにここでできること、ここでしかできないことをたくさん吸収しておきたいと思います。


Basel

Basel はスイスとフランス、ドイツとの国境にある街。
川の向こうはもうドイツ。そしたら橋のまん中はどうなるのー


八月八日 水曜日(急に寒い)
| Switzerland | comments(0) | 20:34 |
le voyage du ballon rouge

 普段は静かなこの街も8月はバカンスシーズン真っ盛り。街を歩いていても聞こえてくるのはフランス語、ドイツ語、英語、、、ヨーロッパ各地から家族連れがたくさんやってきているようです。
 そしていまとなり街ロカルノでは年に一度の大イベント、ロカルノ映画祭が開催中です。カンヌやベルリンなどに比べたらちいさなものらしいのですが、どこからこんなというくらいの人で溢れています。こんな機会はもうないでしょうとプログラムとにらめっこ、どれを観ようかと悩んでいました。そしてきのうついにメインの会場であるPiazza Grandeでの上映に行ってきました。

piazza grande

 
 今年は60回目の記念の年でもあり、様々な催しがあるらしいのですが実際はよく知りません。でも台湾人の監督、侯孝賢の新作の上映をプログラムで発見しこれは観なくてはといそいそと出かけたのです。上映前、名誉監督賞の受賞式がありなんと監督本人が現れました。あまりよい席が見つからず、うろうろしてるうちにどんどん席が埋まっていって途方に暮れていたところに監督登場です。観る前からドキドキしてしまいました。
 席も無事に見つかって上映開始。映画はパリの街を舞台に、ジュリエットビノシュ演じるシングルマザーとその息子、そしてあたらしくベビーシッターとしてやってきた映画作りを専攻する中国人の女の子の日常を、彼女の持つビデオカメラでの映像を交えて淡々と映し出します。そこに赤い風船がたびたび、彼らの生活を覗くように、あたたかく空から見守っているかのように現れます。なにか大きな出来事があるわけでもなく物語は進み、美しいパリの街並とともに変わらない彼らの日常が続いていく。日が沈んでからの屋外での上映は心地よく、とてもよい時間でした。
 映画が終わったのは24時近く。アスコナまで自転車で帰る道、暗がりの中でも不思議と気持ちはふわふわしていました。そのままベッドに入ったら夢の中でもふわふわして(た気がし)ました。

 
leopard

映画祭関係者のぶら下げてるパスがどれもヒョウ柄なのが気になってたら、
コンペの賞はLeopard賞って言うらしいです。なるほどー


八月七日 火曜日(インド人に時間を聞かれた)

| Switzerland | comments(0) | 14:17 |

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